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日本の医療従事者はなぜ患者の尊厳を軽視してしまうのか

2018/11/21

■尊厳について考えさせられるエピソード

最近では多くの病院で『患者の尊厳』や『患者の権利』を重視するという方針を打ち出し、ホームページなどでも謳っています。

目に見える変化としては、患者のことを「患者さま」と呼び換えたり、インフォームドコンセントを徹底するような動きがみられます。

しかし実際は、病院によって対応に大きな差があり、肝心な場面で患者の尊厳がほとんど考慮されない病院もあります。

 

次のエピソードは療養型の病院に入院中の利用者が実際に遭遇したケースです。

その病院では、年中行事の一環として、敬老の日に入院患者が普段よりおしゃれをして記念写真を撮るというサービスを行っているそうです。

敬老の日の翌日に病院訪問した家族に、病棟師長が満面の笑みで写真を手渡してくれました。

写真には、本人には全く似合いもしないシャツとネクタイを着け、笑顔もなく、『祝・敬老の日』と書かれたボードを持ったお父様が写っていました。

まだ入院前のお元気だった頃、お父様は大変おしゃれな方で、シャツやネクタイそしてスーツなどには、こだわりを持っていたそうです。

本人なら絶対に選ばないようなシャツやネクタイをあてがわれ、そして恐らく、ご本人の意思とは全く関係なく着替えさせられ、写真を撮られたのでしょう。病院側は、家族も喜んでくれるだろうと信じて疑っていない様子。

ご家族としては、悲しいというか残念な気持ちでいっぱいだったそうですが、普段お世話になっている師長と病院に対して、何も言うことはできなかったそうです。

 

これに似たようなエピソードは、医療機関では枚挙にいとまがありません。

他のサービス業に比べて、なぜ医療従事者はこのような個人の尊厳を軽視したような対応を平気でしてしまうことが多いのでしょう。あくまで個人レベルや所属する組織レベルの問題なのでしょうか。

 

■医療従事者は提供するサービスを比較検証されることが少ない

通常私たちは、物やサービスを購入すると、その良し悪しについて比較することができ、消費者として賢くなっていきます。

ところが、医療サービスの場合、あまりにも専門性が高すぎて、受け手の私たちにはその良し悪しが判断できないことが多くあります。つまり自分たちが受けた医療が最適であったのか、質がどうであったのか、判断できないということです。

がん患者が標準医療よりも民間療法に走ってしまうことが多いのも、患者自身が治療プロセスを比較検討して、より適切な治療とは何かを判断することが難しいためです。論文を読んでエビデンスを検証するということは素人にはできません。

医療サービスの受け手である私たちの行動としては「信じて任せるしかない」場合が多いのです。

 

そうすると、医療従事者はよほど不適切な医療を提供しない限りにおいては、患者や家族から批判を受けることは少ないということです。特に家族は患者を人質に捕られているようなものですから、多少腹が立つようなことがあったとしても、我慢することが多いでしょう。

 

これは医療従事者側からすると、実践での批判を通して学ぶことができないということです。特に直接の医療行為、看護行為に付帯するコミュニケーション部分などでは、洗練される機会がありません。患者との距離感を測りかねて、妙に馴れ馴れしい看護師がいるのはそのせいでしょう。看護師本人としては、懸命なコミュニケーションを図っている結果なのかもしれません。

 

■自分が提供する医療サービスの価値を把握できない

日本は国民皆保険制度によって、医療費は一部の自己負担を除き、医療保険から大半が支払われます。これは非常に優れた保険制度であり、国民が等しく高度な医療を受けられることにより、日本人の寿命は格段に向上しました。

 

反面、一律の制度であるが故のマイナス面もあります。

医療保険制度では、全ての医療行為は点数化され、点数に応じて医療費が健康保険組合から審査支払機関を通して支払われます(患者の自己負担額を除いて)。

提供される医療サービスの品質によらず同じ点数ということも問題ですが、それよりも医療従事者は自らが提供するサービスの対価がいったいどのくらいなのかを知らないということの方が問題です。

 

盲腸の手術1回がいったい幾らなのか、知っている医師は珍しいと思います。

点滴を交換しにきた看護師に、この点滴バッグは針刺し行為込みでいったい幾らなのか聞いてみても、答えられる看護師は皆無でしょう。

※最近では疾患ごとに1日あたりの医療費が包括的に定められたDPC(包括医療費支払い制度)を採用する病院が増えており、特に日常的な医療行為単体での点数設定ではなくなってきています。

 

例えば、男性ヘアのカット料金は、シャンプーなしのチェーン店なら1000円ですが原宿の美容室なら10000円を超えるところもあります。

 

利用者は、その対価に応じた結果の期待値を持ってサービスを受け、結果の良し悪しを判断します。サービスを提供する側も、対価以上の価値を提供しようと頑張ります。ここに良い意味での競争が生まれ、品質が向上すると言われています。

しかし、自分が提供するサービスの対価を知らない人間には、サービスの質を向上させようとするインセンティブやモチベーションは働きません。

 

医療従事者は、職業倫理感や資格へのプライド、組織へのロイヤリティーといった不確実性の高い要素によってのみ提供するサービス品質を向上させているのです。

先のエピソードにもあるように、あくまで自分たちの基準に基づいた自己満足が判断基準となっているため、他者から見てどれだけ❝痛く❞ても、気付くことが少ないのです。

 

■サービス消費者である若い層に期待

日本の医療従事者は、決して人間の尊厳を軽視しているわけではなく、何が軽視している言動であるのか、失敗を通して学ぶ機会が少なく、また自分のサービス品質への期待値の客観的基準(対価)も知る機会が少ないという、構造的に向上機会を奪われている環境に身を置いているのです。

 

とは言え、現代の若い層は、様々なサービスを消費しており、ネットやSNSを通して品質の比較情報にも精通しています。

消費者として培われた目で、客観的に自分自身のサービス品質を見られる医療従事者も増えてくることに期待したいと思います。