自宅に戻ってターミナルの母を看取りたい
がんのターミナルである母親の、自宅に戻りたいという希望を叶えるために、入院中の病院から退院し、自宅で看取ったご家族(娘様)のケースです。
A子さんのお母様は10年以上前に子宮がんを患い、全摘手術を受けていました。しかし、その後の化学療法や放射線治療は拒否されていました。3年前に肝臓や骨への転移が確認されましたが、その後も抗がん剤治療などの積極的治療は行わず、緩和ケアを受ける方針でやってきました。
転移は広範囲に認められたものの、痛み止めはほとんど必要とせず、これまでとほぼ変わることなく日常生活を送ることができていました。
しかし、いよいよ食欲も低下し、体重の減少と体力の低下は著しく、外出先で倒れ、そのまま緊急搬送されました。
搬送先は都内の大学病院でしたので、改めて検査が行われ、がんの全身への転移が認められ、予後3カ月との説明が主治医から家族であるA子さんにされました。
A子さんのお母様は、全摘手術の後も、化学療法や放射線治療を拒否された時も、「最期は自宅で迎えたい」とのリビングウィルをA子さんに伝えていました。
しかし、入院先にはA子さんやお孫さん、お母様の友人などが頻繁に訪れ、また入院生活もストレスの少ないものであったのか、自宅に戻りたいという意思は、お母様の口から出ることはありませんでした。
逆に、「病院に居ると快適で安心」という言葉を聞くことが多かったようです。
A子さんとしては、お母様からの「最期は自宅で」との意思は聞いていたものの、お母様が病院の方が安心だと感じているのであれば、敢えて自宅に戻すこともないと考えていました。
ところが、予後3カ月の診断の通り、入院2カ月を過ぎるあたりから、日中でも眠っていることが多くなり、またそれまで拒否していた緩和ケアも疼痛が増してきたためか、本人の希望で開始しました。
そんな中、お母様の口から「自宅に戻りたい」との意思がA子さんに伝えられたのでした。
一旦は、このまま病院でお母様を看取ることも考えていたA子さんでしたが、お母様が再び自宅に戻りたいとの意思を明確にされたため、何とかお母様を自宅に戻す手だてを考えました。
病院側もA子さんとお母様の意思を尊重し、退院の方向で調整を開始してくれました。
自宅の受入れ側も、以前に訪問してくれていた在宅医や保険の訪問看護も何とか調整できそうでした。
しかし、お母様を自宅に戻すとなると、かなり頻回になってきた吸引や場合によっては痛み止めの医療用麻薬の管理を家族が行う必要性が出てきました。
A子さんが吸引の手技をマスターする時間の余裕はありません。
そこで、在宅医のクリニックからアラジンケアに相談があり、自宅に戻ってからの24時間看護を急遽調整する運びとなったのです。
A子さんがお母様を退院させると決めた2日後に相談があり、そしてその日は病院側が急遽設定してくれた退院前カンファレンスの日でもありました。
退院予定日は、最短でカンファレンスの2日後を予定しているとのことでした。
アラジンケアとしては、とにかく退院日から1週間の24時間体制のスケジュールを組み、後は追々調整するという段取りでカンファレンスに出席しました。
退院日から、アラジンケアの看護師が24時間付添うことが決まったためか、心に少し余裕ができたA子さんには笑顔も見られました。
とても急な展開でしたが、アラジンケアがご相談を受けた日から2日後にお母様は無事退院され、自宅に戻られました。
状態としては厳しい状態であったため、搬送中の急変もありうる旨が病院側からA子さんに伝えられましたが、何とか自宅に戻ることができました。
自宅に戻られた日は、A子さんはじめご家族や近しい方々が駆けつけ、お母様にも笑顔が見られました。
しかし、自宅に戻られたその日の深夜から急激に意識が低下しました。
アラジンケアの看護師は、意識レベルの低下を見て、ご家族に連絡し意識のある内にご家族が揃いました。
とても短い時間ではありましたが、ご家族や友人たちとの最期の時間を持て、またご家族に見守られながら、息を引き取られました。
お母様の意思を実現し、最期に自宅に帰せたこと、そして自宅で家族が看取れたことにA子さんから感謝のお言葉をいただきました。
このケースでは、お母様の意思を何とか実現したいというA子さんの強い意志が、病院や在宅関係者を巻き込み、帰宅が実現しました。
アラジンケアでは安心で安全な看護を提供することと同じくらい、サービス提供の機動力を重視しています。
それは、このような時間に余裕のない待った無しのご依頼にお応えするためなのです。